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コレは買い?スタッフ試聴レビュー

コレは買い?スタッフ試聴レビュー

銀座十字屋オンラインショップで取り扱うCDの中から、スタッフが実際に聴いてみて、みなさまにおすすめしたいCDをレビュー形式でご紹介します。(当レビューは、銀座十字屋オンラインショップメールマガジンにて先行配信されたものです)


スタッフ視聴レビュー 一覧

 1. ハープより愛をこめて / サーシャ・ボルダチョフ

 2. 亡き王女のためのパヴァーヌ〜フランス・ハープ・リサイタル / マリア・グラーフ

 3. ドイツ人作曲家たちのハープ・ソロ作品集 / マルギット=アナ・シュース

 4. 風と愛〜日本のハープ音楽80年/中村愛

 5. HARP SHOCK / SANAE

 6. doux (ドゥ)/ 間を奏でる

 7. シンプリー・クリスマス

 8. Wave Co[rr/ll]ection / Mayu

 9. Authentic Harp / 近石瑠璃

10. Beautiful Days / ティコムーン

11. スペインのセレナータ / グザヴィエ・ドゥ・メストレ

12. ビリティスの歌 / 野勢善樹(Fl.) 長谷川朋子(Hp.) 大野かおる(Va.)

13. Healing Harp 〜ハープで贈る名曲の花束〜 / 内田奈織

14. ハーピスト / カトリン・フィンチ

15. 野の花に / 西村光世 , ペトリ・アランコ

16. ドーヴァー海峡の向こう側〜アイルランド・スコットランド・イングランドのバロック音楽〜


ハープより愛をこめて / サーシャ・ボルダチョフ

ハープより愛をこめて / サーシャ・ボルダチョフ

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超絶技巧で知られるサーシャだが、その本質は実のところ「歌心」にあるのではないだろうか。最新作「ハープより愛をこめて」は、楽旅が多く、少年時代から音楽留学という形で長らく故郷を離れていたということもあって、サーシャのロシア愛がたっぷり注ぎ込まれたアルバムとなっている。今までどうちらかといえば、交響楽のアレンジや、あえて難しい作品にチャレンジした“名刺代わり”のダイナミックなアルバムが多かったのだが、最近故郷に戻り、ボリショイ・バレエの演奏に招待されたり、ロシア各地でコンサートを要請されたり、温かく自分を迎えてくれたロシアに改めて郷土愛を噛み締めている段階にあるのかもしれない。

アルバムは、ロシアが育んだ鳥・花・バレエ・絵画・ワルツという5つのモチーフを選び、それぞれ3つの曲を添えるという構成。たとえば、“ロシアの3羽の鳥”の部では、グリンカ「ひばり」、スロニンスキー「火の鳥」、アリャ―ビエフ「ナイチンゲール」が選ばれている。そこには、繊細かつ曲の旨味を技術の犠牲にはしないサーシャの心配りが随所に見て取れる。曲のセレクトがここまで民族色が強いと食傷気味になりそうだが、アルバム全体を俯瞰すると、知っている曲と聴いてみたら好きになる曲の配合のさじ加減が絶妙であり、まるで一気に読み進めてしまう短編小説集のような味わいがある。「意外とロシア好きかも・・・」という満足感もある。圧巻は、バレエの部。ラフマニノフやチャイコフスキーの中にある歌の心を引き出して、難解な技法を駆使しながら平気な顔して弾いてしまうサーシャの悪魔の顔が覗く。ボリショイ・バレエのダンサーと、オケピではなく同じステージ上で演奏できる栄誉を与えられているのは、現状ではサーシャと数人の演奏家しかいない。そうした誇りと身につけた自信とが相俟って、色々な意味で圧倒される場面が続く。最後は、ワルツ3曲。典雅な親しみ深いメロディに乗せられ、冒頭から最後まで、心を散々に揺さぶられロシアの旅は終わる。本作は、サーシャの本音が垣間見える、故郷と自分の音楽を愛してくれるファンへの熱きオープン・レターといえるだろう。

 

亡き王女のためのパヴァーヌ〜フランス・ハープ・リサイタル / マリア・グラーフ


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集団の一部として機能してきた者が、個人の資質を明らかにする場合、最も有効的な方法が今までのイメージと正反対の自分を表すことだ。このアルバムは、まさにその粋が収められている。グラーフは、あのカラヤンが指揮棒を振っていた最盛期のベルリン・フィルで、ソロ・ハーピストであり続けたという事実は、彼女が軟なハープ奏者ではなく、基本がしっかり押さえられて、なおかつ柔軟さとマルチな表現力に支えられた一級の奏者であることを、何より雄弁に物語るが、そこからはドイツ音楽壇の特徴というか、ドイツの作曲家を愛し、バッハやベートーヴェンらを信奉するステレオ・タイプな姿も見え隠れする。本作の企画がユニークなのは、初のソロ作品集で、ドイツの第一線級の彼女に、敢えて真逆のフランスというテーマをぶつけたことにある。どこまでも優美で自由で。フランスの楽曲は、楽器の女王と呼ばれるハープにはうってつけであり、実際にクラシックと称されるハープ曲はフランス産が多い。

グラーフは、その垣根を彼女らしく乗り越えてみせた。女王がアウェーの状態の敵地で拍手喝采を浴びていると想像して戴きたい。それが本作の喩えに相応しいからだ。ルーセルの「即興曲」をフランス人よりも典雅に弾き、ドビュッシーの2つの「アラベスク」では作家の作法に盲目的に倣うのではなく、自分ならこうアプローチするという冴えも垣間見せる。タイユフェール、ラヴェル、トゥルニエ・・・一歩間違えると冗漫にさえなってしまう作家の曲想も、グラーフは一本筋が通った輪郭を浮かび上がらせ、冷静に奏でてゆく。温かな音色で高雅な演奏は、徹底して凛とした緊張を伴いながら、フランス楽曲たちを躍らせた。まさに、銘盤である。



ドイツ人作曲家たちのハープ・ソロ作品集 / マルギット=アナ・シュース

ドイツ人作曲家たちのハープ・ソロ作品集 / マルギット=アナ・シュース


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ハーピストが、先人たちの遺したソロ・ピースを単に奏でるというのはコピーに過ぎない。時代にコミットしようとする者は、遺産を鵜呑みにするのではなく、自分が敢えていまの時代に語るべきことを付加して、次代へリレーしようとする。本作でのシュースの試みは、自らの出自であるドイツに先ずは範を求め、バロックから現代まで、原曲・編曲を吟味し、ハープでしか再現できない曲ばかりではなく、むしろハープで演奏するからこそ可能性を提示できる曲も織り込んで、私的なハープ小史を編み上げる作業である。

バロックの音楽には、端正で美しい音色を意識し、近代では大胆で収まりのよいハープの塩梅(あんばい)というものを心憎いまでに調整し、バッハ、ハイドンからシュポア、ヒンデミット、そしてハメルまで、これだけの年月と作家の偉業を俯瞰した割には、全体のトーンに違和感のない、直感的な面白さを展開している。特筆すべきは、ハメルの「ハープのための小品」でのインド音律を含んだハープ解釈とヒンデミットの多作の割には本曲が彼のハープ作品の代表作である「ハープのためのソナタ」の決定版的演奏であり、これらは感嘆と瞠目を呼ぶだろう。



風と愛〜日本のハープ音楽80年/中村愛

風と愛〜日本のハープ音楽80年/中村愛

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ハープを弾きはじめる時って、大抵は「憧れ」がきっかけだと思う。キラキラした音。演奏姿の華やかさ。まさにザ・ヨーロッパって感じのオーラ。しかも試奏してみると、技術要らずで、とりあえず音は出るじゃない。ハープの深みにはまってゆくのは、大同小異そんな端緒かもしれない。しかし、いざ始めてみると、弾きたい曲の楽譜の種類がピアノほど多くはないし、いくつかの定番曲を習ってモヤモヤしながら練習している・・・。

このアルバムでの中村愛の主張は、「ハープはもっと自由で、しかもまだまだ知らない曲が身近にたくさんあるよ」ということ。着眼点がすごいのが、日本に目を向けたことだ。ハープと欧文で書くとエレガントだけれど、要するに竪琴。ハープは古代ヨーロッパからの伝統楽器というけれど、日本にも古くからのハープの原型といってもよい箜篌(くご)という楽器も正倉院で見つかっている。彼女は温故知新を提示し、足元に放置されていたお宝の山に手を付けたといえる。当然、日本人作曲家たちもハープ曲を残していた。ゴジラで有名な伊福部昭、黒澤明の盟友・早坂文雄、そして清瀬保二など、われわれには映画音楽で馴染みの人々がハープ曲を作っていたり、「ウルトラセブン」で有名な冬木透がアレンジを施したりと、このアルバムには二重三重の仕掛けがある。日本人ながら、初めて聴いた曲もいっぱいあったり、自分としては“新曲”を聴いているつもりなのに、なぜか懐かしさのあまり涙がこぼれたり。熱燗とコンビニのおでんに合うハープのアルバムなんて初めてだよ。彼女は、クリスマス用には「クリスマスファンタジー」というCDも作っていて、同作もおススメだけど、冬の前はコレ。美しく優雅なハープだけれど、内面を振るわせる共鳴力も秘めた楽器なんだね。





HARP SHOCK / SANAE


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かつてジャズの帝王マイルス・デイヴィスが、エレクトリック・トランペットを自らの主要楽器にした時、非難轟々の騒ぎとなった。帝王の気まぐれ・・・世間はそう捉えた。しかし、その後もマイルスは終生エレクトリックに専念した。なぜ彼はアコースティックからエレクトリックに持ち替えたのか。マイルス自身の答えは、非常にシンプルなものだった。「時代が変わったから」と。

ハープを聴いていて不思議に思うのは、なぜもっと前に出ないのだろうということ。ピアノに負けないオーケストラルな楽器でありながら、どこか通俗的に縁の下の力持ちとか、ここぞという際のアクセサリーのような立ち位置で満足しているように見えて仕方ない。

マイルスに補足すると、世の中のテクノロジーが進み、マイクロフォンの精度が上がると、いつも音が大きく華のある楽器トランペットが必ずしも花形ではなくなり、低音の響きや艶やかなトーンまでマイクが拾うようになるとサックスの時代がやってきてしまったのだ。さらにギターは、いわゆるエレキギターが廉価で販売され、演奏人口が増えた分、すでに聴き慣れた音になっていた。たぶんマイルスは奇を衒ったのではなく、自分の音が「時代の声」としての地位を失う事を恐れたのだ。

ハープにとっても、そういう傾向は他人事ではない。楽器自体が、いつまでも宮廷楽器であり続けたいわけでもあるまい。やはり時代に則した進化・深化を遂げてきたのだから、エレクトリックの要素もハープの世界観を広げることは間違いのないところと思われる。日本で誰もエレクトリックハープの担い手として手を挙げないので、自ら帆を張って海原へ進み出たひとりがSANAEである。彼女もグランドを弾くれっきとしたハープ弾きだ。研鑽の中で、自分の声を作り出すツールとしてエレクトリックハープを手に取ったと思われる。独り善がりの演奏家なら、「スカボローフェア」とか「グリーンスリーヴス」などの誰もが知るメロディをわざわざ選んでアルバムには吹き込まない。ロックやプログレの影響も隠さず、自分の造ってきた世界に共鳴・共感を求めているのだと思う。そのサウンドは、聴きようによってはスティールパンのようにも響くし、全米を席巻した日系人のフュージョン・グループ「HIROSHIMA」がエレクトリック琴を武器に、独自の間(ま)とグルーヴ感を演出していたことも思い出す。ミュートするのも一苦労、振幅の大きい弦楽器=ハープをいかに制御しつつ、フレッシュな音を捻出するか。シリアスなハーピストだからこその、SANAEのたくまざる挑戦の一里塚が本作に示されている。触手が伸びにくいジャンルかもしれないが、聴いたらそれを難なく乗り超えているあなたがいることだろう。





doux (ドゥ)/間を奏でる

doux (ドゥ)/間を奏でる

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もしも現代版室内楽という表現が許されるのなら、この「間を奏でる」という楽士集団にこそ似つかわしい。この静謐さ。凛とした音の粒立ちのたおやかさ。それぞれの楽器が役割を主張し、インプロビゼーションも展開しているのに、グループのトーナリティを崩すことなく、集団的な表現としては至極真っ当にまとまっている。昔は夜な夜な貴族たちがサロンで繰り広げていたであろう、音楽を供される特別の場、そこはデカタンスで少し淫靡で、ルールを外れた実験の場でもあっただろう室内楽の世界。演奏される音楽は、クラシックというわけではないが、今この「間を奏でる」の造り出す空間というものは、まさに本物を求めて集結した音の好事家たちが車座になって囲むような場でこそ本領が発揮される。前衛的と言ってしまえば陳腐だが、そこまで敷居は高くなく、むしろ語り部を中核にしたトライブが火を囲み、部族たちの詩が楽器を通じて語り明かすような情景に近いのかも。別の言い方をすれば、演奏者らが持ち寄った私小説を語り合う祝祭空間だ。

アルバムは、邪魔な先入観さえ持たなければ、ついつい長居してしまう音楽の綴れ織りが封入されている。アイリッシュハープを弾いているのは、堀米綾。ここでのハープは、バックグランド音楽ではない。むしろ冒頭の「うつろい」や「間奏曲」などでは、物語の起点になって端緒を紐解くなど、メリハリをつけるような役回りをするところがユニークだ。行間を時折、素朴なヴォイスが埋め、そこにパーカッションがアクセントをつける。滑り込むようにモーダルなフレットレスベースが気持ちよいグルーヴを吹き込む。たゆたう綿帽子のような優しいヴァイオリンと、集いを結うピアノの確信犯的な構成力。「ハープが活かされる表現の場とは、こういう場所もあるのか」と、目から鱗が落ちた。



シンプリー・クリスマス

シンプリー・クリスマス

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こういうアルバムを、「羊の皮を被った狼」という。通常のコンピレーション・アルバムは、年末の福袋よろしく玉石混合のゴッタ煮であり、お得感があるようでない。そろそろ一般人も福袋戦略のギミックを御見通しなので、大抵は華麗にスルーされる。かくいう自分も手に取るまでは、本作の「シンプリー・クリスマス」というタイトルの安直さに(御免)、正直触手が伸びずにいた。

だが、これが“袋の中身が見える福袋”で良かった〜。CDのタスキのクレジット見て驚いた。中身が、「玄人好みの知る人ぞ知る達人たちが演奏するクリスマス」だったからだ。

近代フルートの泰斗ジャン=ピエール・ランパル、ピアノのラベック姉妹、フラメンコ・ギターの雄オットマー・リーバート、そしてハープ界からは、我らが篠崎史子女史とカトリン・フィンチが参加している。行間を、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ室内管弦楽団が埋めるといった構成。なんとも渋い、通向けのチョイスである。全然、シンプルではないじゃないか。むしろ、一曲ずつじっくりと聴きこんでしまう。思えば、クリスマスこそハープが最も似合う季節であり、暖炉(あればの話だが)の前で静かに一年の終わりを想いながら、ハープの音色にロッキングチェアを揺らすというクリスマス原理主義者の自分には、まさにうってつけのコンピである。まあ、実際には今年も後片付けしない友人たちが持ち込んだケンタッキー・フライド・チキンのパーティ・バーレルを囲み、ドラム肉の醜い争奪戦を繰り広げながら、コーラをガブ呑みして終わるとは思うが、正味の意味で本当のお宝CDだと思う。しかも、篠崎女史がかなり定番のメジャー曲「ホワイト・クリスマス」「アヴェ・マリア」「天なる神には」「オー・ホーリー・ナイト」等を託されている!一聴の価値あるクリスマス盤だ。





Wave Co[rr/ll]ection / Mayu

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今年も一年が終わろうとしている。自分としては、特に健康面で悪い所がなかったと自負していたが、新聞記事を見てドキッとした。「健康な人でも心が疲れている人は多い」と。加えて、たまたま読んでいた本に、「社会的に帰属意識が高い人ほど、ストレスを内面に溜めやすい」とあった。なんでも無意識に溜め込んでいると、それは予兆もなく破裂し、健康なはずの体も蝕むという。くだんの記事の主役が、Mayuであった。ハーピストであり、音楽療法にも取り組んでいる。その人の波動に合せて、オーダーメイドの演奏をするらしい。だが、このほど誰にでも共通する根源的な癒しが感じられる波動調整用の音楽を、CDに吹き込んだ。

強力なパワースポットで収録した自然音をミックス。録音エンジニアは、生形三郎氏が担当。専門家による脳波測定の解説書も付いている。音のリラクゼーションに、真摯に真正面から取り組んでいる気配が窺われる。藪にらみだった自分も、「そんな簡単には、引っ掛からないよ」と半ば懐疑的に聴き始めた。「穏やかな輝き」「静かな時間」「明るい気持ち」といったパートに分かれた音は、まずはゆったりとつま弾かれるハープの音色が何とも言えない眠気を誘う。目を閉じればそのまま落ちるというか、昔、床屋さんで蒸しタオルを顔に当てられて、暫く頬を温められているうちに転寝した経験にも似て、浮遊感を伴う音楽トリップになった。最後の「明るい気持ち」に差し掛かると、強力なパワースポットで収録したと思われる、のどかな田舎の情景が、音楽にブレンドされて聞こえてくる。どこかで蜩(ひぐらし)が鳴いている。せせらぎの音が優しく体全体を包んでくる。そういえば、久しく郊外の空気吸ってないな。聴き終わったら、師走なのに優しい気持ちが戻ってきた。何でも試してみるものだなあ。




Authentic Harp / 近石瑠璃

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ロドリーゴが遺した「アランフェス協奏曲」は、今ではギタリストの通過儀礼となっているが、ロドリーゴ自身はギターを持ったことすらないという。だがスペイン人の血が滾り、ギターへの愛が募るロドリーゴは、結果として同曲を書き上げ、ギター協奏曲の嚆矢となった。つまり、溢れ出る音楽への愛着が世の人の心を打ったのだろう。まして、自分が愛する楽器を使って作曲され、それを自分の愛用する楽器で演奏するのは、どれだけ素晴らしく、愛おしいものか。本作には、近石の恐らく愛して止まないハープへのオマージュが詰まった作品集だと思う。

タイトルにもなっているオーセンティックという言葉は、ハープを誇りに思う者しか怖くて付けられない。本物、正統という意味であることをアルバムには記しているが、ともすれば権威的という排他的な意味にも繋がる言葉だから。しかし、アルバムを聴き進めると、彼女がやろうとしているのはそれと真逆であり、むしろ「ハープ奏者の間でしか聴かれていないのは勿体ない、この美しい調べを皆さんとシェアしたい」という意思が伝わってくる。言わずもがなのアッセルマンの「泉」やサルツェードの「古代様式の主題による変奏曲」、そしてグランジャニー「ラプソディ」などは、コンクールや演奏会ではハーピスト垂涎の曲。ご存知のとおりトゥルニエの「朝に」などは、演奏会用練習曲と別題まで付いている。近石の仕事とは、研鑽と研究、そして何よりありったけの愛をもってこれらの作品を弾くことで、ハープが、そしてハーピストたちの曲が、いかに風雪に耐える普遍性と絶対美を秘めているかを世に問うことであり、実はそれこそが「本質」だったのではないか。あなたがハーピストでなくとも、彼女の思い入れがヒシヒシと伝わる快作である。




Beautiful Days / ティコムーン

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吉野友加のレバーハープと影山敏彦のアコースティック・ギターのデュオから成るティコムーンの音楽は、「これぞカフェミュージック」と言えそうな設えだが、実は聴くとむしろおうちへ帰りたくなる音楽だと思っている。午後のカフェオレを頂きながら陽あたりの良いカフェで聴くと、バッチリ様になると思うけれど、じっとその調べに身を委ねていると、彼らの曲って、日常のほんの些細な光景をルーペで覗き込んだら、初めて気づいたような新鮮な事象にパチパチと手を叩きたくなるような音楽なんだ。だから早速自宅に帰って、生活の一部に日常音楽として取り入れたくなる。一般的には、よくハープには、フルートが相性いいと聞く。でもアコギはというと、そんな話はあまり聞かない。でも二人は、昔、皆も少年少女の頃、「こうでなければいけない」という呪縛など何もなかった時の、素直さと強さを持っている。自分たちの弾きたい楽器を持ち寄って、対話している・・・そんな情景が浮かんでくるコンビネーションなのだ。「ハープとギター、なかなか相性いいじゃない!」ではなく、二人が対話を楽しんでいて、あくまでその結果として和やかで柔らかい光景が浮かび上がる。それがティコムーンのもつ独特の世界観だと思う。


このアルバムは、2003年から2016年までリリースされてきた作品のベスト盤だ。オープナーの「ビューティフル・デイズ」から「ノーザン・ライツ」まで、全部オリジナルというのが潔い。個性を凝縮したような、お気に入りの雑貨を全部机の上に乗っけたような、不思議な達成感がなぜかある。今回収録されてないけど、ホントは「ワルツ・フォー・デヴィ」「初恋」「戦場のメリークリスマス」といったカバー曲も素敵なんだよ。





スペインのセレナータ / グザヴィエ・ドゥ・メストレ

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一時期は、まるで絶滅危惧種のようであった男性ハーピストだが、蓋を開けてみれば、20代のレミー・ヴァン=ケステレンやサーシャ・ボルダチョフなどの有望株が出てきていて、先ずはひと安心だ。一方で、そんな中で孤高の存在として今も頂点に君臨し続ける男がいる。メストレである。今回、ソニー・クラシカルから6作目となる待望の新作がリリースされた。何とスペインがテーマである。

ヤング・ライオンたちの猛追もどこ吹く風、メストレがその玉座を譲らない大きな理由が、本作を聴いていて判ったような気がした。先入観として、メストレはハープの概念を大きく変える革新者のイメージが強いが、彼は概念の破壊者ではけっしてなく、実のところは順応・同和の能力がかなり優れているからこそ、広く長く君臨していると思う。あたかもメストレ以前からあったかのようなアプローチ。ハープで弾くことが当たり前であったかのようにアレンジを施された曲を、滑らかで自家薬篭中のもののように振る舞う演奏技術。考えてみれば、これらパターンは既に過去の作品でも試行されていたのだ。「エトワールの夜」では母国フランスのイメージを、ドビュッシーというテーマから透かしみたり、「ヴェネチアの夜」では17世紀のイタリアの華やかさを演出したり、一見ソロ演奏のベスト盤のような顔をした「モルダウ〜ロマンティック・ソロ・アルバム」もよくよく考えれば8割以上がロシアの楽曲を採用した東欧へのオマージュであったり、各地の名曲を「最大公約数的に手堅くまとめてみました」ではなく、あくまでもメストレの作法がスタンダードだという味付けが施されて供されてゆく。そこが他の追従を許さない核心なのである。

さて、くだんのスペイン・・・であるが、ラテン音楽の宗主国と言っても過言ではないこの国の音楽は、リズムが不可分だ。独特のリズムという命題を、ハーピストがどう向き合うのか。メストレは、飛び道具を繰り出した。カスタネットの女王ルセロ・テナを呼んできた。スペインでは人間国宝並みの扱いを受け、スペイン人の、スペイン人らしいリズムを導入するなら、この人をおいて他はないような存在だ。彼女を呼ぶだけなら、お金があれば呼べる(と思う)。だがこのクラスとの共演となると、腕がなければ務まらない。しかも、本作でファリャのスペイン舞曲第一番やサルスエラの間奏曲、アルベニスのソナタなど、いかにもスペインという代表曲で、堂々の名演を繰り広げている。まるで共演が初めてであることなどおくびにも出さず、懐の深い演奏で応えるこの風格。彼の演奏会の曲として確立した「アルハンブラ宮殿の思い出」も入っており、異郷の音楽という違和感がまるでないまま、あなたは再び夢心地を味わう。




ビリティスの歌 / 野勢善樹(Fl.) 長谷川朋子(Hp.) 大野かおる(Va.)

ビリティスの歌 / 野勢善樹(Fl.) 長谷川朋子(Hp.) 大野かおる(Va.)

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今年はドビュッシーの没後100年ということで、ドビュッシー含有率が高い本作をピックアップした。フォーレ、ラベル、フランセと、全てフランスの作曲家を選び、主人公の野勢のフルート+長谷川朋子のハープ、時にヴィオラ(大野かおる)を加えた編成で、20世紀前後のまさにクラシックにおけるフランス勢のエポック・メイキングな時代の息吹を、実直かつ精緻な構成で再現、演奏陣はまるで叙事詩の語り部のように、音による物語の綴れ織りを細やかに紐解いてゆく。総体的には、非常に好印象なアルバムである。

十年ひと昔というが、さすが百年経つと、当時は奇異な印象のものでも、芳醇な気品を湛え、まろやかに熟成した楽曲になるのかと、本作を聴いて感服する。裏を返せば革新者の音楽というのは、それは普遍的になるまでに時間がかかるということだ。ドビュッシーが朗読伴奏用に作曲した「ビリティスの歌」から「月の光」が、当時さほど人気がなかったというのもにわかに信じがたい。こうしていわばスケルトン状態にして、核心を露わにする演奏から、素晴らしさを再確認することもあるのだ。もっとも意趣返しで他の分野における転用や模倣を経て、凄さの中核を知る場合もある。たとえば、ジャズの帝王マイルス・デイヴィスの「ソー・ホワット」はジャズ史上最も売れた曲だが、ドビュッシー前奏曲集第一巻「ヴェール」が元ネタだ。ジャズの革命と言われたビ・バップの誕生も、既成和声の進行を否定したドビュッシーの影響なしには生れなかったし、70年代のプログレシップ・ロックも、やはり彼の影響からは免れない。本当はかなりやんちゃな音楽なのに、本作を聴いていると、ずっと昔からあった古謡のような響きを伴って、本質を突いてくる。演奏者たちがかなり弾きこんでいる証左だ。



Healing Harp 〜ハープで贈る名曲の花束〜 / 内田奈織

Healing Harp 〜ハープで贈る名曲の花束〜 / 内田奈織

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柄にもないことを思い付いた。このCDを花が好きな母に贈ってみようと。音楽を商売にしていると、あらゆる音楽を包括し、比較してしまう癖がつく。だが、何も主張しなくても良い影響を与えてくれる音楽は現に存在する。母には、理屈は通用しない。良いか悪いかなどは、彼女の範疇ではなく、好きか嫌いかしかない。果たして、この作戦が奏功するかは分からないのだが、今度実家へ帰った時にでも、台所から出ようとしない昔堅気の母に聴こえるように、食器棚の脇に電話と共に置いてあるCDラジカセに、このCDをそっとセットして音を流しておこうと思う。鼻歌まじりでハミングし始めたら勝ち、「これ流しているのは誰?終わったら片づけてね」と言われたら負けだ。

この作品は、奇を衒っていない。春というテーマに花をモチーフにした唄が散りばめられている。楽章のついた第〇番のような小難しいニュアンスはない。春といえば、新しい何かが始まる予感から希望やフレッシュな感情が芽生える一方で、実は別れの季節でもある。「テネシー・ワルツ」「タイム・トゥ・セイ・グッバイ」「さくら(独唱)」が入っているのは、そうした不安やストレスにも、ハープはどこまでも優しく包み込んでくれることを暗示しているし、花の可憐さとそこに秘めた凛とした潔さは、時には国の窮地を救うほどの癒しを持っていることを、「花は咲く」「エーデルワイス」が証明するだろう。内田奈織の独奏はテンポがゆったりしていて、寛ぎの空気を吹き込み、とても浸透圧が高い。どれも一度は聴いたことのある粒よりの選曲は、きっと母の年代にはイチコロだ。息子から好きな花の種類など、こそばゆくて聞けないから、少し変わった“花束“だけど、今春さりげなく置いてこようと思っている。



ハーピスト / カトリン・フィンチ

ハーピスト / カトリン・フィンチ

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美味い寿司屋を見分けるには、光りもの、マグロ赤身、玉子で見抜けと教わった。コハダは魚の大小・季節によって塩の加減が異なり、安定感を出すのが難しい。マグロは職人の目利きと仕入れが全て。オヤジに信頼がなければ、よい赤身は回してくれないらしい。玉子は、単純に手間と時間がかかる。つまり、職人のごまかしが利かない部分への着目が、見極めには重要だということなのだろう。音楽では、バッハかも知れない。無駄がない。シンプルながら完成している。微動だにしない音楽観は、入り易いがその中身は恐ろしく深い。ざっかけなく言えば、その人の実力以上にはけっして響かない音楽であるといえる。

カトリン・フィンチは、今や英国総代といってもいい。あのチャールス皇太子の公式ハープ奏者になった。その実力を認められてのことだろうが、そのものズバリのタイトル「ハーピスト」を臆面もなく看板に掲げてきた本作で、フィンチの実力がわかる。冒頭2曲いきなりのバッハである。オープナーにはもってこいの「プレリュード無伴奏パルティ―タ第3番より」における、この音の跳ね方と煌びやかさはどうだ。突出しを飛ばして、いきなり付け台に本日のお奨めを並べられたようなものだ。「どうでぃ」と啖呵を切るが如くの潔さ。フィンチが鉄火肌か否かはこの際知る由もないが、「巧いなあ」とため息が出てしまう。続くは旬のドビュッシーだが、「月の光」をハーモニックスで爪弾いて小細工も利くことを証明する。全体の選曲は、こちらが聴きたい曲というよりは、ハーピストからすると「自分も弾きたいけれども尚努力を要す」的なセレクトで、少し斜め上を往くのだが、いかんせん、演奏も構成もまとまりすぎていて突っ込めない。ひとしきり唸った上で、後半あたりで供されるのが「スペイン舞曲第1番」と「モルダウ」。白眉。ハープの鳴りも見事。いずれも哀愁ギトギトのマイナー調が大好きな日本人好みの選曲といえるだろう。口中ですっと溶ける脂のように、後味もさわやか。最近、男性ハーピストもこうした畳み掛けるパターンが多いが、その力技ゆえのリバーヴが少々くどさを感じてしまうが、この頃合いは丁度いい。最後は、御口直しのかんぴょう巻ならぬ、「チキン・ピッキン・ラグ」。ペロっと舌を出しながら、ラグタイムジャズを持ってくるとは、なかなかお茶目である。このハープによるお任せフルコース、すっかり気に入ってしまった。贔屓にしようと思っている。御馳走さま。



野の花に / 西村光世 , ペトリ・アランコ

野の花に / 西村光世 , ペトリ・アランコ

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まったくお門違いの印象なのかもしれないが、かつて映画「ビルマの竪琴」で奏でられた「埴生の宿」の情景を思い浮かべてしまった。イングランド民謡なのに、竪琴で奏でると、なぜか日本人として郷愁を覚え、懐かしいとさえ思ってしまう。異文化の親和性というのは、われわれが人間である以上、国や生まれは違えども、どこかに共通項は必ずあるわけで、海を隔てた向こうの国々にも、心に残る良いメロディやリズムであれば、同じ人間が紡いだ詩であり曲なのだから、音楽は国境とか宗教観とか、主義主張の差異などは軽く乗り越えてしまうのだろう。

このCDはリマスターされた、いわば復刻版である。1994年にフィンランドで録音された。西村光世が、べトリ・アランコという現地のフルートの名手と共に、自分の師でもある日本の千秋次郎という作曲家の手になるハープ曲集を吹き込んだ成果である。絵入れ作家としても活動、今も地味だが実直な活動をしており、けっしてコマーシャリズムは活発とは言えない。しかしながら、ここに記録されているのは、音の言霊であり、「日本人の心」なるものは海外であっても、あるいは担い手がフィンランド人であろうが、福音は伝播することを証明しているように思えるのだ。組曲「七つの遠い思い出」を聴いていると、ハープとフルートのマッチングは、何も洋風にだけ合うというのはなく、琴と尺八の和のテイストに通じるような掛け合わせでも合うことを確信する。ハープ用に書いた曲であっても、それが雅楽のような響きを伴うのも、音楽そのものが担い手の心の反映であるからに他ならない。復刻も、多くの心に引き寄せられて成就したものだと信じたい。ちなみに西村は、ミルドレッド・ディリングから譲ってもらったハープを弾いているという。アメリカにハープを広めたひとりであり、アメリカン・ハープ・ソサエティの創立者のひとりである。俳優のローレンス・オリヴィエやハーポ・マルクスも弟子だった。無類のハープ愛から124台のハープ・コレクションを誇った。ほとんどが博物館行きの逸品で、100年ものが揃う。その内の1台を彼女が今も大切に弾いて息を吹き込んでいる。国境だけはなく、時空も超える・・・というわけか。

 
ドーヴァー海峡の向こう側 〜アイルランド・スコットランド・イングランドのバロック音楽〜

ドーヴァー海峡の向こう側 〜アイルランド・スコットランド・イングランドのバロック音楽〜

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何とも歴史ロマンに溢れる企画というか、ぜひNHKにルポをお願いしたいような着眼点であります。時は17、18世紀にヨーロッパ大陸ではバロック音楽が隆盛を極めていた。当然、その音楽もドーヴァー海峡をわたり、アイルランドへ伝播した。当時、バロック期のオペラの旗手としてヘンリー・パーセルがいて、アイルランドには盲目の吟遊詩人ターロック・オキャロランがいた。やがて大陸では流行が廃れたが、アイルランドでは土着化しガラパゴス化した。ただし、アイリッシュでは楽譜を使わない口伝の伝統音楽として、演奏家や農夫の間で途切れることなく伝えられ、独自のバロック音楽となった。パーセルとオキャロランが接触した記録はない。しかし、それぞれの地で最も高名かつ人気に支えられた音楽と音楽家が同じ時代の空気を吸い、民間の力によって音楽を伝播し合っていたという事実だけが残っている。ならば、バロック音楽の伝統が残るアイルランド音楽の専門家とイタリア・バロックの専門家を共演させ、生まれた新しいバロック音楽の形を提起してしまおうという企画が、このCDの妙味だ。

驚いた。このプロジェクトをこのまま映像化したら、サウンドトラック盤として使用できる。「ロード・オブ・ザ・リング」がお好きな方なら、この音楽は結構ツボにはまるはず。イタリアのバロック音楽とアイルランド音楽を織り交ぜた選曲は、意外にも素朴で耳なじみがあり、新しくて懐かしい。アイリッシュ側は、守安功(フルート、リコーダー)と守安雅子(アイリッシュハープ、コンサーティーナ、バゥロン)が、バロック側は平井み帆(チェンバロ)が、それぞれの分野の専門家として対峙する。もっとも対峙と書いたが、むしろ邂逅に近く、出会った当人たちもこれほど音楽的相性がよいとは想像していなかったのではないだろうか。口承芸術であるからこそ記録がなく、記録がないからこそイマジネーションをフルに活用できる。アイリッシュ/ケルト音楽の懐の深さを活かし、ある時はそれを逆手にとりながら、チェンバロの響きが横串をズブズブ刺してゆく、この愉悦。この味は癖になりそうだ。今すぐウォークマンにこのCD入れて、ディズニーシーに浮かぶ帆船ルネサンス号の上でロマンに浸りたい。ちなみに、こういう越境してゆくアイルランド音楽は、最近でいえばザ・チーフタンズが頑張っている。「グレイテスト・ヒストリー/ザ・チーフタンズ」では、世界の一線級のポップスターらとチーフタンズが共演し、現代アイリッシュの粋を伝えている。時代や演奏体系は異なってもこれら2枚のCDは、アイリッシュの深淵を覗くには格好の作品となっている。ぜひ、一聴をお奨めしたい。

 

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